勘違いしたままの方が幸せだという話

本日のぼく。
身長157センチ、体重46.3キロ。
昨日より500グラム減るのは珍しいかもしれません。
心当たりは特にないです。
最近暑いですからいつもより汗でもかいたのかも。

さておき。

ぼくはいわゆる器用貧乏です。
割と何でもそつなくこなします。
そのかわり、なにひとつ極めていません。
これが結構コンプレックス。

子どものころから絵が好きです。
どちらかというと好きな漫画やアニメを模写するというより、自分で考えたキャラクターやメカを書くタイプでした。
それなりに得意なんだと思います。
ただ、いつも身近に天才的にうまいやつが現れるんです。

音楽も好きです。
聴くのももちろん好きですが、結構早い段階で作る方にも興味を持ちました。
お年玉をためて録音機材を買って、自分で曲を作ってるやつなんて周りには一人もいなかったと思います。
でも、10代後半にもなると、やっぱりすごいやつが現れるんです。
どこからともなく。

絵にしても、音楽にしても、すごいやつってもう問答無用ですごい。
サインペンでとんでもなくかっこいい絵を描いたり、ギター一本でとんでもなく刺さる曲を作ったりします。
彼らが自然に生み出すものに、ぼくは毎回打ちのめされてました。

で、ぼくみたいな凡人はなんとかそいつに勝とうとして、あれこれ小技に走るわけです。
直球で戦ったら100パーセント勝ち目がないので、変化球で勝負する。
「王道なんてかっこ悪い」とか言い訳をしながら。
今思えば、かっこ悪いのは間違いなくこちら側なんですが、やっぱり当時は謎のプライドがあったんですね。
素直にかっこいいやつをかっこいいって言えなかった。

ただ、王道をさけて横道にそれたはずなのに、その先にもその道のすごいやつがいたりする。
だからまた小道に逃げる。
そんなことを繰り返しているうちにあら不思議、器用貧乏の出来上がりです。

ぼくの器用貧乏は直接対決から逃げ続けた結果でもあります。
だから自分のことを多才とは言わず、あえて器用貧乏と少し自虐的に表現しているのかもしれません。
まあ、自分のことを多才なんて言うやつ、いないか。

こんな自分のことを、最近になってちょっとだけ受け入れることができるようになってきました。
言ってみれば、あきらめなかった証拠。
どんなすごい才能を目の当たりにしても、完全にあきらめることだけはしなかった結果だともいえるわけですから。
しぶとくしがみつくためにもがいたから、今のぼくがある。
ちょっと美化していえばそんな感じです。

ぼくの好きな作家さんに「森博嗣」という方がいます。
30代で小説家になった方なのですが、この方、小説家になるまで小説を読んだことがなかったそうです。
だから、小説を書くことができた、とおっしゃっています。

小説を書こうと思ったら、小説は読まない。
なぜなら、おもしろい作品に出合ってしまったら、「こんな作品は書けないな」と感じてしまうから。
でも、なにも知らなければ無限の可能性がある。

だ、そうです。
これを読んだとき、妙に納得しました。
ぼくは自分が好きなものにのめりこんだ結果、すごいもの、すごい人を知ってしまったんです。
だから、「ぼくにはこんなものつくれないな」とどこかで感じてしまっていた。

これからも未知のことに手を出すことがあると思います。
そんな時、その分野のことを事前に調べたりしない方がよいのかもしれません。
勉強だと思って知ってしまったその知識が、自分を苦しめることになるかもしれないから。
何も知らなければ勘違いしたままでいられます。

「こんな作品が作れるおれすげえ」って。

そういえば、某ひろゆきも同じようなことを言っていた気がします。
勉強できるって勘違いしたまま大人になるやつが東大に行くとかなんとか。

これからは下手に知識など入れず、勘違いしたまま突き進んでみようと思います。
自分の才能のなさに気付かなければ、いつまでも天才のままなのですから。
アラフィフ勘違いおじさんの爆誕です。

乞うご期待。

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